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当方掘江弘己は、去る3/11の地震によって被災しました……
が、今は何とか生きています。
去る5/29、ようやくネットが繋がって本格的に活動を再開することができます。
新刊を楽しみにしていて下さった方、申し訳ありません(つд`)
生存報告そのものはHP上などでも軽くしているので、こちらでは被災の詳しい状況でも徒然なるままに。

詳しい経緯は追記からどうぞ。 3/9
誕生日。お昼頃、5弱ほどの地震が来て、軽く恐怖を覚える。
この時点では、特に目立った動きなし。

3/10
新刊と卒論とその他の諸々でとても身動きが取れなかった私は、
精神的にボロボロになりかけつつ大学に向かった。
何度となく訪れまくる故障に悩まされつつ、実験を進めて気づいたら深夜2時半。
研究室にクリームパンの類は持ち込んでいたが、ふとしょっぱいものを食べたくなってコンビニへ。
弁当とおにぎりを買って、そのまま夜を明かす。

3/11 ~14:45
実験データをある程度入手したところで、論文が形になっていないことに気付き、
先輩や教授に怒られる。
果たして間に合うのか疑問と絶望を抱えつつ、実験を終らせてサンプル回収。
分析装置に投入するための薬品を取りに行こうと立ち上がった……まさにその瞬間。

3/11 14:46~16:00
妙に大きな縦揺れが来たな、と思った時には、強烈な横揺れ。
立っていることも出来ずに、目の前にあったラックに掴まった。
後ろにはフロー制御盤というやたらデカい装置があって、それがガタガタと揺れて今にも倒れてきそうだった。
ガシャンとガラスの割れる音。立ち込める薬品の臭い。
上に吊るしてあったクレーンもぐらぐらと揺れて、まるで生きた心地がしなかった。
電源装置が腕に落ちてきたり、工具箱が落下していくのを、黙って見ているしかなかった。

通常、地震は30秒も続かないという。
ところが、1分経っても2分経っても収まる気配なし。
ようやく揺れが収まって、先輩が「おい大丈夫か!?」と駆け込んできてくれた。
そのまま、准教と一緒に実験室を脱出。
他の先輩方や同期はどうやら入口近くにいたらしく、すぐに逃げていたらしい。
学生の中では、たった一人逃げ遅れていた訳である。

昼間なのに薄暗く、何もかもがあちこちに散乱していた。
見学時のボード、さっきまでお茶を入れていたカップ、大量の書類。
着の身着のままという言葉が一番似合っていた瞬間だと思う。
そのまま、指定避難場所となる駐車場へ。
皆はヘルメットをしていたが、残念ながら我らが研究室のヘルメットは倉庫の奥深くに格納されていて、
取りにいくどころではなかった。

最初、情報が全く無く、混乱に満ち満ちていた。
研究室の人達は、出かけていた一人を除いて全員無事。同期の友人達も、目立った怪我もなかった。
誰かは分からないが、頭を切ったらしく血の滲んだ包帯を巻いていた。
しばらく屋外で待機しているうち、また揺れ。あちこちで悲鳴が上がった。
教授陣・事務方が車で市街地へと降りていったが、帰ってきた時には凶報しか持ち帰っていなかった。
『ガス管が破裂した』
『山向こうへの道路が使えなくなっている』
そうしている間にも、余震は絶え間なくやってくる。
ラジオに耳を傾けてみれば、壁が崩れてきたとか、ガラスが割れたとかで怪我人が出ているようだ。
しかし、この時点で確たる情報が何もなく、津波の情報にしても、
「これだけ大きな地震なんだからそりゃ来るだろう。50cm~1mくらいか?」と思っていた。
予想が完全に外れたと知るのは丸一日経ってからだった。
一度だけ研究室に戻ることが許され、鞄を持ってPCをケースに入れてそれだけ持って出た。

16:00~32:00
仕舞いには雪まで降り始める。最初の5分で来た数通の「お前大丈夫か!?」メール以外は、
問い合せても全然応答がない。
自宅が近辺にある人は三々五々帰っているようだが、電車通学の私にそれは無理な相談というものである。
何しろ歩けば6~7時間、おまけに鞄もPCもあると来てる。
今から帰れば真夜中な上に、雪が降っている中では氷点下まで下がるだろう。
皆が食堂に行く流れだったので、私も食堂に行くことにした。

食堂に着いた時、料理が無償で振舞われていた。
それをもさもさ食べつつ、来るべき夜を待つ。
遂に日が暮れた時、信じられない寒さが身を刺した。
研究室メンバーの内、山向こうに自宅がある者と、自宅が遠くて帰れない者とだけが残った。
点呼が行われ、乾パンと缶詰が配られる。
だが、完全配給制だったのはともかく「今日の分しかない」と通告されて閉口。
何故ならば、今はたまたま春休みで、研究室に用事がない人は実家に帰るなり何なりと、大学には来ていないのだ。
これが1ヶ月前で試験期間だったらと思うとゾッとする。食堂のキャパシティも食料も圧倒的に足りない。

18:30頃、先輩方と一緒に研究室へ戻り、ポットの半分冷めたお湯と、
電池や懐中電灯を持って戻った。
途中、一回余震が来て慌てて全員で部屋を脱出したりもした。
その後、急激に気温が低下。明らかに氷点下を打っており指先が痛い。
暖房のない食堂では、人の吐く息だけが唯一の熱源だった。
煙草を吸おうと思って外に出ても、余りに寒くて諦めた。
何せ暖まる要素が何一つなく、一度冷えた身体を元に戻す手段がなかったのだ。

後は、ひたすら消耗戦だった。
夜が明けるまで、何度も通信を試みたが、志半ばにして電波塔が給電を止めた。
携帯の画面は『圏外』の2文字。振っても歩いても反応はなし。
先輩の乾パンを一つまた一つもぐもぐやりながら、缶詰は温存した。
緊急用の、水で戻すタイプの飯もあったが、こちらは水が限られているので早めに戻すことにした。
2300時頃、ノートPCでテレビを見ていた教授がいたので一緒に見る。

そこには──燃え盛る気仙沼の街があった。
「え、津波が来たんでしょ? むしろ消えるはずじゃ……」と思ったが、甘かった。
後で映像を見てみれば、瓦礫の上に燃えている家が乗っかってそのまま津波で流されているのだから。
おかしいとしか思えなかった。

32:00~12日
うつらうつらしていた。
ふと目が覚めたら、石油ストーブに火が入っていた。
何でもウチの学科長が強権発動で灯油を持ち出したらしい。まったく聡明な判断だった。
今度は椅子をストーブに近づけてうつらうつら。
それなのに、余震が来る度に叩き起こされる。寝た心地すらしなかった。

夜が開けた後は、また配給を貰う。
この時点で在庫がほぼ底をついていたため、研究室の先輩方と共に大学を離れることにした。
山を降りて(東北大の理・工・薬系は本当に山の上にあるのだ)、友人(以下K)を訪ねて彼のアパートに向かった。
入口は震災と停電で自動的に開いていたが、果たして家の鍵はどうか……
恐る恐るKの部屋をノックすると、中から声が聞こえてきた──ような気がした。
もう一度ノックする。今度は何も聞こえてこない。幻聴だったのか、それとも……?
ドアに手をかけてみると、何と開いてしまった。キーカードだったから、これも震災で開いたのだろうか。
時刻は7時40分、不気味に静まり返ったK宅には、誰もいなかった。

そのまま、昨夜から残っていた食事を細々と食べる。
一応、どこかに出かけている可能性や、まだ大学にいる可能性も含めて、しばらく邪魔をすることにした。
40分ほど経って、突然玄関が開かれる音。Kが帰ってきたのだ。
再会を喜び合うと、すぐさま行動に移った。目的は当然、食料の確保と友人の安否確認である。
まずは片平(駅近くの平地)にある本部に行って、情報を集めた。
生存確認ノートがあったので、これに記入する。
既にここは通電しているらしく、あちこちのタップで携帯を充電していた。
我々もそれを借り、次いで友人N宅へと向かった。

……ところがここが地上の楽園。
既に電気も水道も回復している上にオール電化ときた。
N宅を本拠地と定め、物資を集中させた。
最初のうちこそ配給に頼っていたが、段々それも不要になるほどの食料が発掘された。
Kはものぐさだったが、驚くべき量のスープやら缶詰やらが見つかったのだ。
テレビもついていたから、結構な量の情報が入ってきた。
地元の駅が津波に飲み込まれていくのを見るのは辛かった。
後に確認した情報では、少なくとも同期は誰も死ななかったらしい。本当に幸運だった。

~23日
交通網が一部区間だけ復旧した。山形行きの高速バスに乗って、Nは帰るという。
14日、会社から安否確認の連絡がようやく受信できて、応答する。
正直最後まで生死不明だったようだ。
15日、我々はN宅を後にし、K宅へと戻った。
この時点で帰れる見込みはまだなく、Kも20日には実家へ帰るという。
親から連絡があったのが18日。ようやく帰れると思ったのも束の間、今度は果てしない準備に追われることになった。

19日、親が迎えに来る。この段階ではまだまだガソリンは不足を極めていた。
何とか家に帰れたのはよかったが、もちろんイベントどころではない。
HPに小さく告知だけ出して、しばらく休止することにした。

20日からは、上京の準備で忙しかった。
生きていた知り合いと会ったり、内陸部にいたから分からないことだらけだと、海岸線まで出てみたりもした。
有り得ない場所に船があったり、道路が完全に陥没していたりしたが、震災直後はそんなものではなかったらしい。
22日に辛うじて24日のチケットを取れたので、一路東京へ向かうことにした。
荷物は、着替えとPCだけ。今となっては信じられないくらいだ。
引っ越した後も、重い物の輸送が利かず、布団やら電子レンジやらを担いで帰った。

~そして現在
ネットが開通したり新しいPCを買ったり夏コミで死にかけたりしましたが、私は元気です。
Web拍手がいくつか溜まってしまっているので(汗)、じっくり消化していこうと思います。

8/13 掘江弘己
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テーマ : 雑記 - ジャンル : 日記

 

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